黒河隼人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。115.36.127.23 (会話) による 2021年3月3日 (水) 16:08個人設定で未設定ならUTC)時点の版 ({{-}} 不要)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

黒河 隼人(くろかわ はやと、1909年2月14日 - 1992年2月1日)は、日本の実業家東陶機器(現TOTO)社長や、同社取締役会長を務めた。

人物・経歴

1927年市立下関商業学校(現下関商業高等学校)卒業[1]。1930年山口高等商業学校(現山口大学)卒業、東洋陶器入社。1953年取締役に昇格。1959年常務取締役。1963年専務取締役。1967年取締役副社長。1972年、杉原周一社長の急逝に伴い社長就任。東陶不動産取締役社長、日本特殊陶業取締役、日本碍子取締役。1973年日本陶器取締役。1979年取締役会長[2]。1983年相談役[3]

第一次オイルショックを受け、第3次5カ年計画による対応にあたるなどした[4]

脚注


先代
鮎川武雄
東陶機器会長
1979年 - 1983年
次代
山田勝次