飯塚桃葉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Portentry (会話 | 投稿記録) による 2022年9月19日 (月) 00:06個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎参考資料: リンク)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

飯塚 桃葉(いいづか とうよう、生没年不詳[1])は、江戸時代中期から後期に活躍した蒔絵師である。名は秀久。通称は源六。別号に観松斎[疑問点]

経歴・人物

江戸に生まれ、後に江戸で阿波藩10代藩主蜂須賀重喜付き人となり蒔絵を創始する。[疑問点]

重喜に従事し、金貝切金等を併用して精密で華麗な蒔絵の作風は「印籠蒔絵」と呼ばれ一躍有名となった。以後桃葉の子孫も代々阿波藩の付き人を継いだ[疑問点]

また、桃葉が藩主からの依頼により、下駄に蒔絵をするといった斬新な技術をしたという逸話が残されている[疑問点][要出典]

主な作品

  • 「宇治川蛍蒔絵料紙硯箱」 宮内庁所蔵。蜂須賀氏から皇室に献上されたと言われている。[疑問点]
  • 「朝日群鶴図
  • 「鶏蒔絵印籠」 東京国立博物館収蔵[2]
  • 「葦鷺蒔絵印籠」 東京国立博物館収蔵[2]

出典

  1. ^ コンサイス日本人名辞典 2009, p. 76.
  2. ^ a b 小松 1994, 『朝日日本歴史人物事典』、コトバンク.

参考資料

主な執筆者名の50音順。

関連項目

関連資料

  • 吉川半七 (1898). “初代飯塚桃葉◇蒔絵印籠 表裏実大”. In 横井時冬. 日本工業史対照図. p. コマ番号0024.jp2. doi:10.11501/802769. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/802769 。国立国会図書館近代デジタルライブラリー、インターネット公開。
  • “飯塚桃葉作宇治川螢蒔繪硯筥――(御物)”. 建築工芸画. 1. 建築工芸協会. (1913年8月). p. コマ番号0011.jp2. doi:10.11501/2679042. 全国書誌番号:00007430 。国立国会図書館デジタルコレクション。国立国会図書館/図書館送信参加館内公開。
  • 「雁に琴柱蒔繪溜地印籠 / 飯塚桃葉」『美術画報』第37巻第9号、画報社、1915年4月。コマ番号0010.jp2、全国書誌番号:00020139doi:10.11501/1898277。国立国会図書館デジタルコレクション。国立国会図書館/図書館送信参加館内公開。
  • 飯塚桃葉」『蒔絵師塗師両工伝 上』風俗絵巻図書刊行会(編)、吉川弘文館〈芸苑叢書 ; 第2期〉、1925年、12頁。コマ番号0013.jp2、doi:10.11501/1184889。国立国会図書館、近代デジタルライブラリー、インターネット公開。
  • 「江戸時代の蒔絵師・塗師たち--古満家/梶川家/山本家/田付長兵衛/塩見政誠/飯塚桃葉/小川破笠/永田友治/原羊遊斉/中村宗哲/その他の名工」『日本の美術』第231号、至文堂(編)、国立文化財機構(監修)、ぎょうせい、1985年8月、59-64頁。コマ番号0032.jp2、全国書誌番号:00018982doi:10.11501/7962388ISSN 0549-401X。国立国会図書館デジタルコレクション、国立国会図書館内公開。
  • 須藤茂樹「飯塚桃葉覚書」『國學院雜誌』第93巻第4号) (通号1021)、國學院大學、1992年4月、56-65頁。コマ番号0030.jp2、doi:10.11501/3365660全国書誌番号:00008272 <3452188>、ISSN 0288-2051。国立国会図書館デジタルコレクション、国立国会図書館/図書館送信参加館内公開。掲載誌別題『The Journal of Kokugakuin University』。