阿倍御県

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阿倍 御県(あべ の みあがた、生没年不詳)は、奈良時代貴族。氏は安倍、名は三県とも表記される。朝臣官位正五位下豊前守

経歴[編集]

孝謙朝末の天平勝宝9歳(757年榎井小祖大原今城石川公成藤原真先田中多太麻呂大伴不破麻呂文室波多麻呂らとともに従五位下叙爵し、淳仁朝初頭の天平宝字3年(759年右京大夫粟田奈勢麻呂と同時に右京亮に御県が任ぜられている。。

淳仁朝末の天平宝字7年(763年従五位上武部大輔に叙任される。翌天平宝字8年(764年)に発生した藤原仲麻呂の乱での動静は不明だが、賞罰を受けた形跡がないことから中立を守ったか。

称徳朝天平神護2年(766年山陰道巡察使に任命される。神護景雲元年(767年)それまでの刑部大輔田原鋳銭長官を兼帯する。これは、天平神護元年(765年)に改鋳された神功開宝鋳造を推進する目的があった[1]。神護景雲3年(769年筑前守として地方官に転じると、宝亀2年(771年豊前守と称徳朝から光仁朝にかけて、九州地方の地方官を務めた。宝亀5年(773年正五位下に至る。

官歴[編集]

注記のないものは『続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 岩波書店『続日本紀』P187注22

参考文献[編集]

  • 『続日本紀 3 新日本古典文学大系 14』岩波書店、1992年
  • 『続日本紀 4 新日本古典文学大系 15』岩波書店、1995年
  • 宇治谷孟『続日本紀 (中)』講談社講談社学術文庫〉、1992年
  • 宇治谷孟『続日本紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、1995年