防弾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Hajimari (会話 | 投稿記録) による 2012年5月25日 (金) 18:54個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

弾丸を食い止めた防弾ガラス

防弾(ぼうだん)とは、ある物が、銃弾を食い止められること。

単純に、硬い材料で厚い壁を作ることでも防弾性は得られ、軍事目的や、犯罪抑止効果を見込む場合は、そのような防弾がなされることもある。例えば、足利義晴天文19年(1550年)2月に築城した中尾城は、鉄砲玉を防ぐ為に礫(こいし)を入れた白壁が塗られ[1]、防弾の意識が鉄砲伝来時期から城壁に備えられていたことがわかる。しかし、外見では防弾であることがわかってほしくない場合や、軽さややわらかさ、透明性などが要求される場合には、特殊な材料が用いられる。

防弾を意識した鉄盾(防弾盾)の使用は、日本の場合、戦国期より始まり、和本『伊賀路濃知辺(いがじのしるべ)』の記述によれば、天正12年(1584年)、徳川家康が伊賀忍者に尾張の蟹江城攻めで忍び込むよう命じた際、石垣で上から射殺される者が続出したため、「鉄之盾三十枚」を与えたと記されており、攻城戦で用いられた(後述の「実験結果」からも3ミリ厚あれば防弾できた)。

防弾の例

  • 防弾ガラス - ガラスをポリカーボネイトなどのプラスチックとの積層構造にする。ポリカーボネイトのみからなる、一見ガラスに見える防弾素材もある。
  • 防弾チョッキ - ケブラーなどの特殊繊維を織り込む。セラミックスなどの硬板を使ったものもある。
  • 防弾壁 - ケブラーなどからなる補強材を貼り付けるか埋め込む[2]
  • 防弾車 - 大量の金属材を使い一目で防弾とわかるようにつくられたもの(装甲車)や、一見通常車両に見えるものがある。
  • 土嚢 - 市街戦等、即席で積み上げ、陣地作りにも繋がるもので、土で盛るという意味では「土塁」の部類であって防弾壁ではない[3]。同様に「石塁」も十分防弾に繋がる(元寇後に築かれた石塁の厚さは1 - 2mあり、後世の銃器も防ぐことが可)。少例として、日ロ戦争時、友軍の遺体を重ねて利用した「人塁」がある[4]。特に極寒地で土が掘れない状況下では凍りついた遺体が土塁の代わりとなる(極限時では他の人体も防弾となりうる)。
  • 竹束 - 遺体を重ねた人塁と同様、有機素材を用いた防弾盾(ただし、戦場遺体は甲冑着用者も含む)。人体に比べ、腐敗による劣化は低いが、火攻に弱い。

実験結果

  • 国立歴史民俗博物館の2006年企画展示「歴史の中の鉄砲伝来 -種子島から戊辰戦争まで-」を開くにあたって行われた実験によれば、十匁玉で10gを使用した場合、これを防ぐには3mm厚の鉄板か、9cm厚のヒノキ板が必要という結果が出ている[5](この実験結果に従った場合、火縄銃に対し、鉄板はヒノキ板の30倍の防弾性があることになる)。
  • フジテレビ系列の番組『トリビアの泉 ~素晴らしきムダ知識~』が行なった実験(「トリビアの種」№078)では、45口径スミス&ウェッソンpc945(軍用銃)を5メートルの距離から撃ち、ティシューペーパーを何枚重ねたら防げるかを検証した結果、200枚目で威力が衰え、2354枚で貫通を防ぐことに成功している。
  • ディスカバリーHVチャンネル『フューチャーウェポン・防衛システム』内の番組実験では、セラミックとチタン合金を合わせた新式の防弾チョッキ「ドラゴンスキン」(ウロコ状の小札を重ねたもの)に向かって至近距離からM16の5.56ミリ及び7.62ミリ弾(軽装甲車で用いられる鋼鉄板を貫通)を撃ち、これを防ぎ、最大9ミリ弾の防弾にも成功している[6]。これが従来のセラミック板製の防弾チョッキの場合、数発で割れ、使い物にならなくなっているが、セラミックとチタン合金の複合材の場合(小札の重ね方にもよるが)、耐弾性が向上している。
  • ディスカバリーHVチャンネル『怪しい伝説:潜水兵の水中爆発防御法』内の実験結果では、30Kgの鉄札製鎧と15Kgの紙札(束を重ね、鋲=リベットで留めたもの)製鎧[7]に向かって、19世紀頃に使用されたフリント・ロック式の拳銃が撃たれたが、いずれも防弾には成功している[8]。鉄も紙も防弾性は同等であるが、番組内では、耐弾性では紙札は鉄札に及ばないとまとめている。
  • 徳川家康が造らせた南蛮胴は実験(同じものを製作して行われた)で火縄銃の弾をはじくことが確認されている(NHK『その時歴史が動いた』より)。日本の胴具と違い、弾丸を受け流すように流線的形状となっている。

備考

  • 信憑性は別として、『遠野物語』で語られる猿の経立が、毛皮に松脂を塗り、その上に砂をつけ、鎧のように硬くして、鉄砲の弾も通らなかったという防弾伝承が記述されている。
  • TBS系列の番組『夢の扉』の実験では、ポリカーボネイトでも盾程度の厚さの場合、防弾できないことが判っている。

脚注

  1. ^ 参考・今谷明著 『戦国の世 日本の歴史[5]』 岩波ジュニア新書 2000年 p.103
  2. ^ 前述のように、防弾を意識して壁を補強するといった行為自体は戦国期から見られる(実際、実験が行われて防げたのか、どの程度、防弾効果があったのかは不明)。
  3. ^ 土塁は防弾だけを目的とせず、人を含んだ多目的遮蔽物である。
  4. ^ 人塁は、一種の有機性の複合素材といえ、皮・肉・骨からなる(場合によって防具を含む)。難点としては、土や石と異なり、環境によって腐敗=強度の劣化が進む事があげられる。
  5. ^ 木製の門は最低でも9cm厚なければ、防弾できないということになる。
  6. ^ なお、手榴弾の破片も0距離で防いでおり、対爆スーツ並みの防御性がある模様。
  7. ^ 当番組で製作された紙札製鎧は重量だけなら日本戦国期に着用された当世具足(10kg前後)より重い。
  8. ^ 日本の「試し胴」で当世具足の胴が撃ち抜かれる実験結果があるが(火縄銃を参照)、当世具足の場合、鉄板一枚から成り、鉄札(さね)のように重ねられているわけではない(そもそも当世具足は軽さに重きが置かれている)。鉄札の厚さが一枚1.5mmとしても縅(おど)したものは計3mm厚であり、中世日本の鎧では小筒も防げないとする見解は、これらの実験結果からも妥当ではない。鉄札で縅した=重ねた胴なら防弾は可能である。