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長島正治

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長島 正治(ながしま まさはる、1929年2月 - 2010年5月30日)は、日本の医学者、皮膚科医。杏林大学医学部皮膚科初代教授。色素性痒疹を提唱したことで知られる。日本臨床皮膚科学会会長も勤めた。

略歴

色素性痒疹 Prurigo pigmentosa

  • 1971年に長島が発表命名した特異的な痒みのある疾患で、日本からの報告が多いが、外国からも発表されている。最初は胸部、背部に痒みの強い紅色の丘疹の出現をみる。胸や肩に痒みの強い紅色の丘疹の出現をみる。発疹が消えた後も網状の色素沈着を残す。発疹は発作性に生じ繰り返すことが多く、色素沈着もその度に増強する。原因は不明である。この疾患は世界的に認められてきた。
  • 最初の論文:長島正治ら:日本皮膚科学会雑誌 1971:81:78-91.
  • 英文の論文:Nagashima M: Prurigo pigmentosa- Clinical observations in 14 cases. J Dermatol 1978:5:61-7.

角化症研究

  • 従来我が国で報告のあるMeleda病はMeleda島で多発する疾患とは異なると考え報告した。[1]これはMeleda型掌せき角化症(長島)として認められるようになった。

参考文献

  • 「追憶 長島正治先生」 日本皮膚科学会雑誌,2010,120(11),2167-2170.
  • Teraki Y, Nishikawa T Prurigo pigmentosa(Nagashima): in Skin Diseases described in Japan 2004, Journal of German Dermotologic Association(JDDG) 1:2005:(Band 3) 9-25.
  • 長島正治「細切れ自分史 -その時どきの出会いー」皮膚病診療 27(8);972-975,2005.

脚注

  1. ^ 臨床遺伝学叢書 9,26,1977 医学書院