金瀬俊雄

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金瀬 俊雄(かねせ としお、1919年 - 1980年 )は日本の政治家

千葉県富津市生まれ、千葉師範学校卒業。戦後直ぐに千葉県教職員組合の結成に関わり、日本社会党に入党。1947年に千葉県議会議員(君津郡選出)に当選し、途中離党して民主社会党に参加するも直ぐに社会党へ復党し7期務める。1972年の第33回衆議院議員総選挙千葉3区から社会党公認で立候補し、初当選。

任期途中の1974年、千葉県君津市ダム入札で、飛島建設熊谷組が残ったが、飛島建設に「俺は東電に顔がきく」と政治献金を要求、飛島建設が渋ると飛島建設のスキャンダルを国会で取り上げると脅して300万円巻き上げたことが発覚し、恐喝容疑で逮捕された。

県議時代は京葉工業地域開発に力を振るうなど歴代県知事とも強い協力関係を築き、地元では面倒見の良い人物として知られていた。また社会党県本部の財務面を取り仕切り、左右対立や協会派・反協会派間での激しい対立が起きた際にも中立を保ちつつ結果的には党組織の維持を保つなど豪腕として知られた。