金井半兵衛

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金井 半兵衛(かない はんべえ、? - 慶安4年8月13日1651年9月27日))は、江戸時代前期の武士

生涯

長州藩毛利家の家臣の子として生まれたいわれる。半兵衛も小姓をつとめていたらしい。ただし、一説には刀剣商の出ともいわれており、出自は定かではない。

毛利家に出入りしていた丸橋忠弥により推挙されて由井正雪の門弟となる。正雪の門弟のなかでは、丸橋に次ぐ立場であった。その後、正雪の江戸幕府転覆計画に加担し、半兵衛は大坂の主将として大坂市中を焼き討ちし、混乱に乗じて大坂城を占拠し篭城する手はずだった。しかし、実行前に計画が発覚したため半兵衛は潜伏したが、8月13日に天王寺で自害した(慶安の変)。