賀川ハル

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賀川豊彦(右)とハル(左)

賀川 ハル(かがわ はる、1888年明治21年)3月16日 - 1982年昭和57年)5月5日)は、日本社会運動家キリスト教の社会事業家賀川豊彦の妻である。旧姓は芝。印刷業者の村岡儆三(翻訳家村岡花子の夫)の従姉妹にあたる。

生涯

横須賀で芝房吉・むら夫婦の長女として生まれ、15歳で東京女中として奉公に出る。父の転勤で神戸に移り、父親の勤務する福音印刷会社の女子工員として働く。

1911年(明治43年)の夏に、従業員の賛美歌指導に来た賀川豊彦に出会った。1912年大正元年)12月21日にマイアース宣教師より洗礼を受ける。1913年5月27日に豊彦と結婚する。

1914年(大正3年)に豊彦が留学のために渡米すると、共立女子神学校に入学する。夫妻の留守中に、妹の芝フミと武内勝が事業の責任を担う。1917年(大正6年)ハルは神学校を卒業し、新川に戻る。

1921年(大正10年)に女性牧師長谷川初音の発案で覚醒婦人協会を創立する。

1938年昭和13年)に雲柱社の理事になる。

戦後は1956年(昭和31年)から日本基督教婦人矯風会の理事を務め、1960年(昭和35年)の夫豊彦の死後は、イエス団の理事長に就任し、夫の事業を引き継いだ。1977年キリスト教功労者を受賞[1]

著書

  • 『貧民窟物語』福永書店〈社会問題叢書 7〉、1920年5月。 NCID BA33896901 
  • 『女中奉公と女工生活』福永書店、1923年4月。 NCID BN05893929全国書誌番号:43035788 
  • 『太陽地に落ちず』福音書房、1947年4月。 NCID BA60138305全国書誌番号:46030449 
    • 『太陽地に落ちず』ともしび社〈救国伝道ともしびシリーズ〉、1955年2月。 NCID BA60138305 

資料集

脚注

参考文献

  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年

外部リンク