谷衛政

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谷衛政
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 慶長3年(1598年
死没 寛文2年12月2日1663年1月11日
改名 牛之助
別名 大学助
戒名 乾德道輝祥鳳寺
官位 従五位下大学頭
幕府 江戸幕府
主君 徳川家光家綱綱吉
丹波山家藩
氏族 谷氏
父母 谷衛友、木下氏
兄弟 衛成吉長衛勝衛政衛長衛冬
虎之助、兵左衛門、園基音正室、
谷主膳室、澤瀬加兵衛室、藤江元園
山口縫殿娘
衛利衛次衛則衛吉高原仲頼
猪子某室、東條長矩室、遠山某室、
天野雄正室ら
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谷 衛政(たに もりまさ)は、丹波国山家藩の第2代藩主。

生涯

初代藩主・谷衛友の四男。

寛永4年(1627年)、父が死去したため、翌年に跡を継いだ。相続の際には父の遺命を巡って江戸幕府や肥後細川家も関与して紛糾した。家督は衛政の相続となったが、弟や甥らにそれぞれ分知し、自身は1万石のみ相続した。

寛文2年(1662年)、65歳で死去した。嫡男の衛利は早世しており、跡を衛利の長男の衛広が継いだ。

系譜

脚注

  1. ^ 高原次利の子孫の高原家は、仲頼を養子に迎えたことにより御家騒動が起こり改易。直島は以降幕府領となり、仲頼は谷家に返された。
  2. ^ 三好家家臣の東条行長子孫
  3. ^ 天野雄光の子孫