谷衛政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
谷衛政
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 慶長3年(1598年
死没 寛文2年12月2日1663年1月11日
改名 牛之助
別名 大学助
戒名 乾德道輝祥鳳寺
官位 従五位下大学頭
幕府 江戸幕府
主君 徳川家光家綱綱吉
丹波山家藩
氏族 谷氏
父母 谷衛友、木下氏
兄弟 衛成吉長衛勝衛政衛長衛冬
虎之助、兵左衛門、園基音正室、
谷主膳室、澤瀬加兵衛室、藤江元園
山口縫殿娘
衛利衛次衛則衛吉高原仲頼
猪子某室、東條長矩室、遠山某室、
天野雄正室ら
テンプレートを表示

谷 衛政(たに もりまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将大名丹波国山家藩の第2代藩主。

生涯[編集]

慶長3年(1598年)、初代藩主・谷衛友の四男として誕生。

寛永4年(1627年)、父・衛友が死去。家督相続の際には、末子・衛冬への相続を望む衛友の遺命を巡って江戸幕府肥後細川家が関与して紛糾したが、寛永5年(1628年)に幕命により衛政が跡を継いだ。またそれに伴い、山家藩1万6000石のうち弟や甥らにそれぞれ分知したため、藩の石高は1万石となった。

寛文2年(1662年)、65歳で死去。嫡男の衛利は早世しており、跡を衛利の長男の衛広が継いだ。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 高原次利の子孫の高原家は、仲頼を養子に迎えたことにより御家騒動が起こり改易。直島は以降幕府領となり、仲頼は谷家に返された。
  2. ^ 三好家家臣の東条行長子孫
  3. ^ 天野雄光の子孫