谷内野隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Dušan Kreheľ (bot) (会話 | 投稿記録) による 2022年6月10日 (金) 22:04個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (More used with only one reference definition: 1 new reference and 2 new reference calls.)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

谷内野 隆
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 石川県珠洲市
生年月日 (1956-01-10) 1956年1月10日(68歳)
身長
体重
184 cm
84 kg
選手情報
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 北陸銀行
    北銀クラブ

谷内野 隆(やちの たかし、1956年1月10日 - )は、石川県珠洲市出身[1]の元アマチュア野球選手(投手)・指導者。

経歴

星稜高校では、2年生の時に、1972年夏の甲子園投手として出場した[1]。しかし、2回戦で岡村隆則らがいた柳井高校に敗退した。高校卒業後は北陸銀行に入社した。

北陸銀行に在籍していた際に、1977年のドラフト会議横浜大洋ホエールズから5位指名を受けたが、入団を拒否し、チームに残留した[2]

チーム残留後もエースとして活躍し、1981年の都市対抗野球信越予選の決勝にも登板し、その決勝で国鉄新潟を破り、チームにとって、16年ぶりの都市対抗野球への出場を果たす[1]。その大会で電電関東との1回戦の試合でも登板したが、一度は引き分けたが、再試合で敗れた[3]

引退後は、コーチを経て、1997年から北陸銀行(のちの北銀クラブ)の監督を務め、北銀クラブとして再出発した2000年では監督として、チームを5年ぶりの都市対抗野球への出場へ導いた[4]

脚注

  1. ^ a b c 1999年11月27年 毎日新聞 地方版富山
  2. ^ 過去のドラフト 第13回(1977年) - ドラフト会議 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2020年7月3日閲覧。
  3. ^ 「日本社会人野球協会会報1981」日本社会人野球協会 1982年
  4. ^ 「日本社会人野球協会会報2000」日本社会人野球協会 2001年

関連項目