蘭芳公司
蘭芳公司(らんほうこうし)は、1777年から1888年にかけてボルネオ島西部に存在した客家系の華人による政権。蘭芳共和国ともいう。広東省梅県出身の客家人羅芳伯によって打ち立てられた。その名は初代総長の陳蘭伯と第2代総長の羅芳伯に由来する。
18世紀には多くの広東人が生活のためにボルネオ島に渡った。広東人は商才に長けていたために、多くの者が貿易に従事し現地のスルタンから重宝されていた。当時ヨーロッパ人との騒擾事件が多発したため、華人社会は広東省から団練を招いた。こうした武装集団の中で最も大きな勢力が蘭芳公司であった。蘭芳公司はマンドールに本拠地を置き、指導者は大唐総長または大唐客長と称した。大唐総長は治安維持と保護下にあった各部族間の調整を行い、部族内のことは各部族に任せていた。重要事は衆議によって決せられ、大唐総長も民主的な選挙と禅譲によって選出され、12代続いた。
羅芳伯はヨーロッパ人たちが清朝を恐れていることを知り、清朝に朝貢を行った。これによりヨーロッパ人との抗争は止み、多くの部族が服属して、最盛期にはボルネオ島全体を勢力下においた。
しかし19世紀半ばになると、清朝の勢力が衰えて海外のことを顧みる余裕がなくなったことがヨーロッパ人の目に明らかになった。清仏戦争が勃発すると、オランダは蘭芳公司への攻撃を開始した。蘭芳公司は抵抗したが衆寡敵せずついに滅亡し、オランダ領東インドに編入された。