蘆野胤恭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2018年12月6日 (木) 07:06; 金沢七景 (会話 | 投稿記録) による版(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

蘆野 胤恭(あしの たねやす、宝暦10年(1760年) - 天保3年閏11月18日1833年1月8日))は、江戸時代後期の仏師。江戸時代中期の儒学者仙台藩士の蘆野東山の甥[1]。通称は正太郎[1]

経歴・人物[編集]

陸奥磐井郡渋民村[2]出身の人物[1]天明7年(1787年)より朝廷に仕え、仁和寺の仕事に従事し、法眼の称号を授かった[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 上田正昭・ほか編(2001)『日本人名大辞典』講談社
  2. ^ 岩手県一関市大東町渋民