藤谷為賢

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藤谷為賢
藤谷為賢肖像
時代 江戸時代前期
生誕 文禄2年8月13日1593年9月8日
死没 承応2年7月11日1653年9月2日
官位 従二位権中納言
主君 明正天皇後光明天皇
氏族 上冷泉家藤谷家
父母 父:冷泉為満
兄弟 冷泉為頼為賢鷹司教平側室、
綾小路高有側室ら
養兄弟:中山冷泉為親[1]
四条隆昌の娘
為条冷泉為清山科言行[2]
正親町実豊
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藤谷 為賢(ふじたに ためかた)は、江戸時代前期の公卿権大納言冷泉為満の次男。官位従二位権中納言藤谷家の祖。

経歴

慶長11年(1606年)に従五位下に叙任して元服。

冷泉家家祖・冷泉為相の別姓であった藤谷を家名として、新しく家を立てる事を許された。その後、侍従左近衛少将右近衛中将等を務めて、寛永9年(1632年)に従三位となり、公卿に列する。その後、民部卿参議踏歌節会外弁等を務めた。寛永19年(1642年)に従二位・権中納言となったが、正保2年(1645年)には職を辞した。

承応2年(1653年)、薨去。享年61。家督は子・為条が継いだ。

系譜

脚注

  1. ^ 中山親綱の子
  2. ^ 山科言総の養子
先代
藤谷家当主
初代
次代
藤谷為条