藤原常永

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藤原 常永(ふじわら の つねなが/とこなが、生年不詳 - 貞観9年(867年[1])は、平安時代初期の貴族藤原北家中納言藤原葛野麻呂の子。官位正五位下但馬守

経歴

天長2年(825年従五位下叙爵

仁明朝において勘解由次官美濃守などを歴任し、仁明朝末の嘉祥2年(849年)に24年振りに昇叙され、従五位上となる。

文徳朝では、治部大輔刑部大輔と京官を歴任する。文徳朝末の天安2年(858年尾張権守に任ぜられると、貞観5年(863年但馬守清和朝では地方官を務めた。貞観6年(864年正五位下に至る。貞観9年(867年卒去

官歴

六国史』に基づく。

系譜

脚注

  1. ^ 『日本三代実録』貞観10年正月16日条にて、子息の維範が前年に父の喪に服して官職を辞したとの記載がある。

参考文献