藤原是法

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藤原是法
時代 平安時代前期
生誕 不詳
死没 不詳
別名 維範、是比
官位 従四位上右京大夫[1]
主君 清和天皇陽成天皇
氏族 藤原北家
父母 父:藤原常永、母:伴真臣の娘
兄弟 是法、維邦、安柯
当麻貞道の娘
元善、元佐
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藤原 是法(ふじわら の これのり)は、平安時代前期の貴族。名は維範是比とも記される。但馬守藤原常永の子。官位従四位上右京大夫

経歴[編集]

式部大丞蔵人を経て、貞観6年(864年従五位下内匠頭に叙任される。以降清和朝では内匠頭を務める傍らで、安芸権介阿波権介備後介と地方官も兼ねた。

清和朝後半には左衛門権佐に遷り、貞観16年(874年)に発生した淳和院の火災では、左兵衛佐源平と共に衛士を率いて火災の対応にあたっている[2]

陽成朝では左近衛少将を務める一方、元慶元年(877年正五位下、元慶6年(882年従四位下と昇進している。のち、従四位上・右京大夫に至る。

官歴[編集]

注記のないものは『日本三代実録』による。

系譜[編集]

尊卑分脈』による。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『尊卑分脈』
  2. ^ 『日本三代実録』貞観16年4月19日条
  3. ^ a b c d 『近衛府補任』

出典[編集]