藤原師綱

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藤原師綱
時代 平安時代末期
生誕 不詳
死没 承安2年9月6日1172年9月25日
別名 宗形宮内卿
官位 正四位下、宮内
主君 白河上皇
氏族 藤原北家小一条流
父母 父:藤原尹時、母:源師忠の娘
藤原俊忠の娘
済綱尹成親綱
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藤原 師綱(ふじわら の もろつな)は、平安時代末期の廷臣。刑部少輔藤原尹時の長男。

白河上皇院近臣として仕え、また歌人としても知られた。宮内卿、大膳大夫鎮守府将軍を歴任。康治元年(1142年)の陸奥守在任時においては、同国を実効支配する奥州藤原氏藤原基衡に対して強硬姿勢で臨み(公田検注を妨害したその家臣佐藤季治を処刑)、朝廷の権威を高揚させたとして名声を得た(『古事談』巻第四・二十五)。

その子孫は後世、飛騨国司姉小路家として繁栄し、戦国時代まで続いた。