コンテンツにスキップ

蔡叔度

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。いいすく (会話 | 投稿記録) による 2012年2月23日 (木) 14:19個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

蔡叔度(さいしゅくど)は、西周の諸侯であるの初代の君主。姓は姫で、名は度。

文王の五男として生まれた。武王を滅ぼすと、叔度は蔡(河南省駐馬店市上蔡県の南西)に封じられ、帝辛(紂王)の子の武庚を監視する任を与えられた。成王が即位すると、幼年であったため周公旦が摂政した。蔡叔度は周公旦が朝政を専断するのが不満で、管叔鮮とともに三監の乱を引き起こした。戦争に敗れると、周公旦によって郭邻に流され、配所で死去した。

子の蔡仲が蔡に封じられて、祭祀を継いだ。

参考文献

  • 司馬遷史記』管蔡世家第五
  • 陸峻嶺・林幹合編『中国歴代各族紀年表』(1982年、台北、木鐸出版社)