若狭局
若狭局(わかさのつぼね、生年未詳 - 建仁3年〈1203年〉)は、鎌倉時代初期の女性。父は鎌倉幕府の御家人比企能員。母は『愚管抄』によるとミセヤノ太夫行時の娘。鎌倉幕府二代将軍源頼家の妻妾。頼家の長子一幡の母。なお、『吾妻鏡』では辻殿の子とされている公暁も『尊卑分脈』では若狭局の所生とされている他、竹御所も若狭局の所生とする説がある。
生涯
父能員は初代将軍源頼朝の乳母・比企尼の甥であり、その縁故によって頼朝の嫡男・頼家の乳母父となった。頼家の妻妾となった若狭局は建久9年(1198年)、頼家が17歳の時に長子一幡を生む。
一幡が6歳になった建仁3年(1203年)8月、病となった頼家が危篤状態に陥り、その家督相続を巡り若狭局の一族比企氏と、頼家の母方の外戚北条氏との対立による比企能員の変が起こる。9月2日、能員が北条時政によって謀殺され、知らせを受けて一幡の屋敷である小御所に立て籠もった比企一族は北条義時率いる大軍に攻められ、屋敷に火を放って自害し、一族は滅亡した。『吾妻鏡』では一幡と若狭局もその時焼死したとしている。一方、『愚管抄』によると一幡は母が抱いて逃げ延びたが、11月3日になって一幡は北条義時の手の者によって刺し殺されたという[1]。
源頼家の妻妾としての地位
『吾妻鏡』に若狭局は愛妾、辻殿は室との記述が存在するが、若狭局所生の一幡は嫡子に等しい扱いを受けており、誰が正室かははっきりしていない。辻殿が室として扱われたのは頼家死後に頼家の家族をまとめる後室の立場に立ったためとする見解もある[2]。また頼家の父頼朝が、父祖の義家、叔父の為朝、父の義朝と関係が深い賀茂氏の賀茂重長の娘で、比企氏の娘若狭局より家格が高い辻殿を頼家の正室に選んだとする見解もある[3]。ただし後者の見解については、若狭局の長子一幡は建久9年(1198年)の誕生時に頼朝によって頼家嫡子とされ、それによって若狭局も嫡子生母として遇されたとする見解[4]や、賀茂氏が比企氏より家格が高いというのは誤りで、重長は頼朝と直接的な関係もなく、辻殿は若狭局同様に側室だとする批判[5]もある。
関連作品
- 小説
- 篠綾子『星月夜の鬼子母神』集英社〈集英社文庫〉、2021年。ISBN 978-4-08-744313-4。
- テレビドラマ