織田敏宗
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時代 | 戦国時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 通称:左馬助 |
戒名 | 康勝寺殿岩常空大居士 |
主君 | 織田信秀 |
氏族 | 清州織田氏(大和守家) |
父母 | 父:織田敏定 |
兄弟 |
寛定、寛村、敏信?、敏宗、良信?、 秀敏、信定?、信安?、飯尾定宗?、 大雲永瑞? |
妻 | 京極常観娘[1] |
子 | 飯尾定宗、永政[2] |
織田 敏宗(おだ としむね) は、戦国時代の武将。通称は左馬助。織田信秀の伯父、織田信長の大伯父。
略歴
[編集]織田敏定の子として誕生。
清洲三奉行の一家「織田弾正忠家」の織田信秀に仕え、天文13年(1544年)8月、三河国の松平長親が死去すると、三河安祥城攻めに出陣(安城合戦)、3000を率いるも攻略に失敗し、やむなく撤退した。この際、腹へ傷を負ったとされる。翌天文14年11月9日(1545年12月12日)、京極常観の娘を娶った。
なお没年は定かではないが、死因は病死とされる。また後に子とされる定宗は飯尾氏の養子となったという。法名は康勝寺殿岩常空大居士。