秋本敏男

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秋本 敏男(あきもと としお、1891年 - 1982年9月3日)は、日本の地方政治家。東京府北多摩郡武蔵野町長を務めた。

来歴[編集]

1891年、秋本喜七の息子として生まれる。武蔵野村会議員に当選し、町会議員を経て議長ともなる[1]

1928年の町制施行に際し、議員団を率いて長野県駒ヶ根市の市役所[2]を視察、その庁舎をモデルに武蔵野町役場が建設された[1]

1939年に義理の叔父である秋本録之助が町長を辞任し、後任として町長に就任した[1]。1941年6月26日に退任[1]

政界外では、都心にあった日本獣医学校を自身の私有地を提供して招聘し、1938年に日本高等獣医学校(現・日本獣医生命科学大学)を設立、10年にわたり理事長の任を務める[1]。また、太平洋信用金庫の理事長・会長も務めた[1]

1982年、91歳で死去[1]。墓所は多磨霊園

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 秋本敏男”. 歴史が眠る多磨霊園. 2022年6月10日閲覧。
  2. ^ 当時の長野県上伊那郡赤穂村役場。現・駒ヶ根市郷土館