石田収蔵
石田 収蔵(いしだ しゅうぞう、1879年3月6日 - 1940年1月31日[1])は、日本の人類学者。樺太(サハリン)のアイヌ、ウィルタ、ニヴフなど北方諸民族の先駆的研究者。東京農業大学教授。
秋田県鹿角郡柴平村柴内(現在の鹿角市花輪)に生まれ、のち青森県八戸へ移る。1901年、東京帝国大学理科大学動物学科入学、1905年7月卒業[2]。東京帝国大学大学院進学。この頃、東京人類学会に入会し、以後、同会の幹事、編集員、編集主任、評議員・庶務幹事、発行兼編集者を務める。1907年から1939年までに5次にわたり樺太において民族調査を行った。
1920年から現在の板橋区徳丸に住み、周辺の遺跡調査もおこなう。
石田家に伝わった石田収蔵関係資料は、板橋区立郷土資料館が所蔵している。
参考文献
- 板橋区立郷土資料館; 小西雅徳 編『特別展 石田収蔵-謎の人類学者の生涯と板橋』板橋区立郷土資料館、2001年。