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石森町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いしのもりちょう
石森町
廃止日 1956年4月1日
廃止理由 新設合併
石森町浅水村上沼村宝江村中田町
現在の自治体 登米市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
登米郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 17.14 km2
総人口 7,228
(『宮城県町村合併誌』、1956年3月31日)
隣接自治体 宮城県:
登米郡迫町石越村上沼村宝江村
岩手県
西磐井郡花泉町
石森町役場
所在地 宮城県登米郡石森町
座標 北緯38度42分52秒 東経141度12分50秒 / 北緯38.71447度 東経141.21375度 / 38.71447; 141.21375座標: 北緯38度42分52秒 東経141度12分50秒 / 北緯38.71447度 東経141.21375度 / 38.71447; 141.21375
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石森町(いしのもりちょう)は、昭和31年(1956年)まで宮城県登米郡北部にあった町。現在の登米市中田町石森にあたる。

沿革

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  • 明治8年(1875年)10月17日 - 水沢県による村落統合にともない、加賀野村を石森村に編入。
  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、石森村単独で村制施行。
  • 明治45年(1912年)5月15日 - 町制施行し、石森町が発足。
  • 昭和31年(1956年)4月1日 - 浅水村上沼村宝江村と合併し、中田町となる。

災害・事件

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  • 1947年7月 - 東北地方一帯が集中豪雨に見舞われ迫川支流夏川が増水。隣接する某村が自らの身らの村を守るために石森町側の堤防を切るように申し入れたが町側は却下。しかし某村側の住民が3か所で堤防破壊を強行、石森町の被害を拡大させた[1](堤防を破壊する行為は出水及び水利に関する罪参照のこと)。

行政

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  • 歴代村長
氏名 就任 退任 備考
1 伊東真之 明治22年(1889年)4月22日 明治26年(1893年)4月7日
2 及川又左ェ門 明治26年(1893年)8月1日 明治28年(1895年)10月14日
3 二木永助 明治28年(1895年)2月17日 明治30年(1897年)5月8日
4 清野佐多治 明治30年(1897年)5月21日 明治31年(1898年)11月11日
5 清水金治 明治31年(1898年)11月25日 明治33年(1900年)8月22日
6 熊谷正太郎 明治33年(1900年)9月13日 明治35年(1902年)10月10日
7 及川又左ェ門 明治35年(1902年)10月11日 明治36年(1903年)8月23日 再任
8 二木永助 明治36年(1903年)10月23日 明治40年(1907年)4月1日 再任
9 千葉貞一郎 明治40年(1907年)8月8日 明治42年(1909年)10月30日
10 大石栄三郎 明治44年(1911年)2月21日 明治45年(1912年)5月14日
  • 歴代町長
氏名 就任 退任 備考
1 大石栄三郎 明治45年(1912年)5月15日 大正3年(1914年)3月4日 村長より留任
2 森亀治 大正3年(1914年)3月9日 大正6年(1917年)4月11日
3 二木茂平 大正6年(1917年)5月23日 大正9年(1920年)11月29日
4 伊東慎敬 大正10年(1921年)1月6日 大正12年(1923年)7月31日
5 氏家孫助 大正12年(1923年)9月4日 昭和2年(1923年)9月3日
6 麻喜徳之 昭和2年(1927年)9月11日 昭和6年(1927年)9月10日
7 伊藤音之助 昭和6年(1931年)9月11日 昭和10年(1935年)9月10日
8 氏家孫助 昭和10年(1935年)9月11日 昭和14年(1939年)9月10日 再任
9 伊藤五郎 昭和14年(1939年)9月11日 昭和16年(1941年)10月31日
10 大阪亀一 昭和17年(1942年)6月12日 昭和22年(1947年)1月31日
11 片倉正顕 昭和22年(1947年)4月16日 昭和27年(1952年)12月6日
11 大阪亀一 昭和27年(1952年)12月25日 昭和31年(1956年)3月31日 再任

交通

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鉄道

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脚注

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  1. ^ 「隣町へ濁流を導入 堤防を切り自村を救う」『朝日新聞』昭和22年7月30日.2面

参考文献

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  • 『宮城県町村合併誌』(宮城県地方課、1958)

関連項目

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