百済王理伯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。イエスタディ・ワンスモア (会話 | 投稿記録) による 2022年2月11日 (金) 15:35個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

 
百済王 理伯
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 宝亀7年6月16日776年7月6日
官位 従四位下右京大夫
主君 孝謙天皇淳仁天皇称徳天皇光仁天皇
氏族 百済王氏
父母 父:百済王敬福
兄弟 理伯武鏡利善玄鏡、難波姫
俊哲明信、明本、恵信
テンプレートを表示

百濟王 理伯(くだらのこにきし りはく)は、奈良時代貴族刑部卿百済王敬福の子。官位従四位下右京大夫

経歴

孝謙朝天平勝宝6年(754年従五位下摂津亮に叙任される。淳仁朝でも天平宝字6年(762年肥後守と地方官を務める。

称徳朝では、天平神護2年(766年)従五位上、天平神護3年(767年正五位下・摂津大夫、神護景雲4年(770年)従四位下に叙任されるなど、引き続き地方官を務めながら順調に昇進した。

光仁朝に入っても宝亀2年(771年伊勢守と地方官を務めた後、宝亀5年(774年)右京大夫として京官に遷る。宝亀7年(776年)6月16日卒去。最終官位は右京大夫従四位下。

官歴

続日本紀』による。

系譜

脚注

  1. ^ a b c d e 栗原信充考訂『百済王三松氏系図』

参考文献