百按司墓

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座標: 北緯26度40分57.13秒 東経128度0分15.60秒 / 北緯26.6825361度 東経128.0043333度 / 26.6825361; 128.0043333

画像外部リンク
百按司墓(ムムジャナバカ) 今帰仁村運天の古墓(設計同人GAN)
百按司墓木棺(住友財団)

百按司墓(むむじゃなばか、ももじゃなばか)は沖縄県今帰仁村字運天に所在する墓。崖の中腹の洞窟を利用して作られている[1]。16世紀以前の山原地域の有力な按司あるいはその一族の墓と考えられる[1]。1991年に今帰仁村指定文化財[2]。「百按司墓」は「数多くの按司の墓」の意味である[1]

被葬者は北山王とその一族、または第一尚氏系北山監守と推定される[1]

運天古墓群の一部[3]

構造[編集]

崖の中腹の自然の洞窟を人工的に拡大し、方形に整えて作られた墓室で[4]、板葺き木槨内に板厨子が安置されている[5]。沖縄の木槨墓の中では浦添ようどれに次いで古い[6]

遺骨を納める木棺はで全体に漆塗りがあり、巴の金紋入り[7]

1882年(明治15年)に家型墓3基の修復が行われ[3]、2004年に残存した唯一の家型墓の修復が行われた[1]

遺骨の持ち出しと返還請求[編集]

経緯[編集]

昭和初期に京都帝国大学(現京都大学)の人類学者によって百按司墓から遺骨が持ち出された。2017年からその遺骨の返還を求める動きがある。2018年までに研究者団体が返還を求め、今帰仁村教育委員会が京都大学に協議を要請していた[8]

百按司墓から持ち出された遺骨が京都大学と国立台湾大学にあることを2004年に今帰仁村教育委員会が確認し、2017年2月に琉球新報が報じた[9]

調査を経て、当時京都帝国大学助教授だった金関丈夫と、講師だった三宅宗悦が墓からそれぞれ墓から骨を持ち出し、金関が関与した骨は金関が後に赴任した国立台湾大学で、三宅が関与した骨は京都大学で保管されていたことが分かった[10]。金関丈夫は足立文太郎に指示されて琉球調査をした[11]。その以前に墓内に多数の骨があったことを笹森儀助幣原担がそれぞれ1894年(明治27年)、1899年(明治32年)に報告した[12][13]。三宅が収集した骨の一部が百按司墓由来であることを教室の教授清野謙次が1949年に発表した[14]

2017年11月に沖縄県教育委員会と国立台湾大学は返還作業に着手し[15]、2019年3月までに国立台湾大学は36人分の遺骨を沖縄県に返還した[16]。両者は、遺骨を墓に置かず研究資料として保存することで合意していた[17]。遺族らはこれを不服とし、伝統的な風葬を行うことを求めた[18]

琉球民族遺骨返還訴訟[編集]

京都大学が遺骨返還をしなかったため[19]、墓を管理する遺族らが2018年2月に京都大学を提訴した[20]。原告は5名で、そのうち2人は第一尚氏の子孫である[10]

原告らは信仰の自由や民族的、宗教的自己決定権が侵害されたと主張している[21]。第一尚氏子孫らは、民法上の祭祀承継者として百按司墓に由来する遺骨への所有権を主張し、遺骨を保管している京都大学に返還を求めた[22]

日本人類学会は百按司墓由来の骨のうち祭祀承継者が存在しない古人骨については文化財として適切な保管を行い、研究者が資料としてアクセス可能な状態を維持すべきだと要望した。原告団はこれに反発した[23]

2022年4月の大阪地方裁判所による一審判決では、1920年代から30年代にかけて百按司墓から研究者が複数の遺骨を持ち出したこと、原告の一部が琉球王家の子孫で墓へ参拝したことがあることを認めた[24]。一方で子孫とされる者は他にも多数おり、原告らは継承者に当たらず返還請求権もないと判断し請求を棄却した[24]

原告側は控訴し、2023年9月、大阪高等裁判所は一審判決を支持して原告側の控訴を棄却した[24][25]

ただ裁判長が付言を行っており、二審の大島真一裁判長は「京大と原告、教育委員会らで話し合い、移管を含め、適切な解決の道を探ることが望まれる」と付言した[25]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 今帰仁村教育委員会社会教育課文化財係『百按司墓木棺修理報告書』(PDF)18号、今帰仁村教育委員会〈今帰仁村文化財調査報告書〉、2004年https://www.nakijin.jp/material/files/group/39/18-1.pdf 
  2. ^ 歴史文化センター・文化財 今帰仁村
  3. ^ a b 沖縄本島北部及び周辺離島の文化財
  4. ^ 東喜望「南島とインドネシアの古葬墓(民俗採訪記)」『白梅学園短期大学紀要』第39巻、白梅学園短期大学、2003年、159-176頁、CRID 1050282812605122304ISSN 0286830X 
  5. ^ 安里進「琉球王国の陵墓制― 中山王陵の構造的特質と思想―」『周縁の文化交渉学シリーズ3 『陵墓からみた東アジア諸国の位相―朝鮮王陵とその周縁』』、関西大学文化交渉学教育研究拠点(ICIS)、2011年12月、195-213頁、CRID 1050001202912430592hdl:10112/5908 
  6. ^ 安里進「てだがあなの王宮 : 沖縄の墓と王陵の思想」『International journal of Okinawan studies』第1巻第2号、琉球大学国際沖縄研究所、2010年12月、1-14頁、CRID 1050574201775688320hdl:20.500.12000/33965ISSN 2185-4882 
  7. ^ 山里永吉『沖繩歴史物語』p.126
  8. ^ 今帰仁・百按司墓持ち出し遺骨 村、京大に返還協議要請 2018年4月4日 10:29
  9. ^ 京大に琉球人骨26体 昭和初期から未返還 学者収集 - 琉球新報デジタル
  10. ^ a b 板垣竜太 琉球民族遺骨返還訴訟への意見書
  11. ^ 金関『琉球民俗誌』p.184
  12. ^ 幣原担『南島沿革史論』
  13. ^ 笹森儀助『南洋探検』
  14. ^ 京大の琉球遺骨返還問題、別の学者が74体収集 大学側の「手続き経た」根拠揺らぐ|社会|地域のニュース|京都新聞(2/2)
  15. ^ https://ryukyushimpo.jp/news/entry-605944.html
  16. ^ 台湾大保管の遺骨、沖縄に返還 63体、昭和初期に持ち出し 京大にも
  17. ^ https://www.pref.okinawa.jp/site/somu/somushi/johocenter/documents/toushindai120gou.pdf
  18. ^ 国連で「大学は沖縄の遺骨返還を」松島教授が声明 研究者持ち去りと対応批判
  19. ^ 琉球民族の遺骨返還問題(1)収集の正当性 深世古峻一(京都支局):中日新聞Web
  20. ^ https://ryukyushimpo.jp/news/entry-842709.html
  21. ^ 京都大学が盗掘した琉球人骨を返さぬワケ 政府や旧帝大関係者も絶対認めない | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
  22. ^ 京大が沖縄の墓から遺骨持ち出し 返還回答なく「不誠実」と衆院議員 琉球遺骨訴訟|社会|地域のニュース|京都新聞
  23. ^ 琉球人遺骨返還問題 法廷外で新たな争い - QAB NEWS Headline
  24. ^ a b c 古墳遺骨返還、高裁も棄却 京大が沖縄から持ち去り”. 産経新聞. 2023年9月23日閲覧。
  25. ^ a b 研究者収集の沖縄遺骨、返還請求棄却の一審判決を支持 大阪高裁”. 朝日新聞デジタル. 2023年9月23日閲覧。

外部リンク[編集]