田辺清
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基本情報 | |
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階級 | フライ級 |
国籍 |
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誕生日 | 1940年10月10日(83歳) |
出身地 |
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スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 22 |
勝ち | 21 |
KO勝ち | 5 |
敗け | 0 |
引き分け | 1 |
獲得メダル | ||
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男子 ボクシング | ||
オリンピック | ||
銅 | 1960 ローマ | フライ級 |
田辺 清(たなべ きよし、1940年10月10日 - )は、日本の元プロボクサー。青森県青森市出身。ローマオリンピック(1960年)のフライ級銅メダリスト。技術とパワーのバランスの取れた逸材として世界王座を嘱望されたが、世界挑戦を前に網膜剥離を発症し無敗のまま引退。「悲劇のボクサー」と呼ばれた。
戦績
- 1958年、青森工業高校でボクシングを始め、高校日本一となった。
- 中央大学に進学。大学でアルバイトをしながら競技に打ち込み、国内タイトルを総なめにする。
- 1960年、ローマオリンピック、フライ級で銅メダルを獲得。
- 卒業後は日刊スポーツに入社するが、半年で退社。プロ転向を決意する。
- 1963年12月4日、田辺ジム所属でプロデビュー。
- 1965年10月25日、14戦目で日本フライ級王者滑川明石に挑戦し、10回判定勝ちで王座を獲得した。同王座は2度の防衛に成功した。
- 1967年2月20日、ノンタイトル10回戦で、当時の世界フライ級王者オラシオ・アカバリョ(アルゼンチン)に6回TKO勝ち。同王者との世界王座を賭けた試合も決定していたが、右目に網膜剥離を発症。2年間の手術療養の甲斐なく失明し、無敗のまま現役引退。田辺に代わってアカバリョの世界王座に挑戦したのは返り咲きを目指した海老原博幸であった。
獲得タイトル
- 第16代日本フライ級王座(2度防衛)
関連項目
外部リンク
前王者 滑川明石 |
第16代日本フライ級王者 1965年10月15日 - 1967年5月27日(返上) |
空位 次タイトル獲得者 スピーディ早瀬 |