生駒正親

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生駒 正親(いこま まさちか、延宝6年(1678年) - 宝永3年1月27日1706年3月11日))は、江戸時代前期の旗本。幼名は長松、通称は小次郎、玄蕃。

生涯

交代寄合生駒親興の長男として誕生した。元禄10年(1697年)10月28日、将軍徳川綱吉御目見する。元禄15年(1702年)6月23日、親興の死去により家督を相続する。宝永3年(1706年)1月27日、死去。29歳。正室は保田宗卿の娘。子女はいない。末弟の親猶が養子として家督を相続した。

参考文献