王瀹
王 瀹(おう よう、1377年 - 1450年)は、明代の官僚。字は子清。本貫は開封府太康県。
生涯
王鈍の子として生まれた。1406年(永楽4年)、進士に及第した。翰林院庶吉士に任じられ、文淵殿に入って『永楽大典』の編纂に参加した[1]。1409年(永楽7年)、左春坊左司直郎に任じられた[2]。洪熙帝のとき、鄭王府左長史として出向し、たびたび礼をもって鄭王朱瞻埈を諫めた。『荀子』成相篇をまねて、十二章の文章を編集して鄭王に献上したが、王に合わず顧みられなかった。入朝して戸部郎中に転じた。1435年(宣徳10年)、英宗が即位すると、王瀹は戸部右侍郎に抜擢された。1436年(正統元年)、浙江巡撫として出向した[3]。母が死去したが、喪中に復帰を命じられ、入朝して戸部の事務に留められた。1441年(正統6年)3月、致仕した[4]。1450年(景泰元年)1月、死去した[5]。享年は74。著書に『退翁集』6巻[6]があった。
脚注
参考文献
- 『明史』巻151 列伝第39