牧野康陛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Ayukiminami (会話 | 投稿記録) による 2022年8月16日 (火) 11:14個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

牧野 康陛(まきの やすより、寛延3年(1750年)- 寛政6年11月16日1794年12月8日))は、信濃小諸藩の第4代藩主。越後長岡藩分家牧野家6代。

第3代藩主牧野康満の長男。正室は能見松平親盈の娘・清子。官位は従五位下、内膳正。周防守。子は牧野康儔(長男)、牧野康正(次男)、娘(浅野某室)。宝暦3年(1753年)12月23日生まれともされる。

幼名は豊松。宝暦13年(1763年)4月に世子となる。明和6年(1769年)12月18日に叙任し、天明4年(1784年)10月22日に跡を継いだ。天明6年(1786年)に大坂加番となる。寛政6年(1794年)11月16日(もしくは11月9日)、江戸小石川邸にて死去し、跡を長男の康儔が継いだ。享年45。

系譜

父母

正室

子女