源輔通

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源輔通
時代 鎌倉時代初期 - 中期
生誕 元久元年(1204年
死没 建長元年6月7日1249年7月18日
官位 従三位右近衛中将
主君 後鳥羽上皇土御門天皇順徳天皇仲恭天皇後堀河天皇四条天皇後嵯峨天皇後深草天皇
氏族 村上源氏俊房
父母 父:源具親、母:姫の前
兄弟 輔時
俊具通俊源雅忠
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源 輔通(みなもと の すけみち)は、鎌倉時代初期から中期にかけての公卿村上源氏俊房流、左近衛少将源具親の子。官位従三位右近衛中将

経歴[編集]

輔通が従三位に叙された宝治2年(1248年)に、輔通の叔父に当たる源泰光も高齢ながら従三位に叙されており、いずれも後嵯峨院政下での村上源氏に対する処遇の一環であると考えられる。建長元年(1249年)6月7日薨去。享年46。

官歴[編集]

公卿補任』による。

系譜[編集]

尊卑分脈』などによる。

参考文献[編集]