深心院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。白拍子花子 (会話 | 投稿記録) による 2015年5月9日 (土) 04:11個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (補足)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

深心院(しんしんいん、元禄13年(1700年) - 享保6年旧暦10月7日1721年11月25日))は、江戸幕府の8代将軍徳川吉宗の側室で、源三(夭折)、徳川宗尹一橋徳川家初代当主)の母。俗名は(うめ)、久。父は谷口正次。院号が深心院。

生涯

元禄17年(1704年)3月に和歌山城に奉公に上がり、吉宗の母・浄円院付きの女中として働き始めた。

その後、紀州藩を継いだ吉宗の寵愛を受け、吉宗が8代将軍になると紀州藩邸から江戸城大奥に移り、享保4年(1719年)に源三(夭折)、享保6年(1721年)に宗尹を産んだが同年、22歳の若さで病没。上野寛永寺凌雲院に埋葬された。戒名は深心院慈潭性水大姉。