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浅井 井規(あざい いのり、生年不詳 - 天正元年(1573年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。浅井氏の家臣。通称は七郎。浅井井伴の子。浅井井頼の実父ともいわれる。
1571年に堀秀村が篭る鎌刃城に攻めかかったが、横山城から救援に訪れた木下秀吉(豊臣秀吉)に敗れた。
1573年の小谷城攻防戦では、木下秀吉に内応し軍を城に引き入れるなどし、小谷城落城の手助けをするが、織田信長は井規の降伏を許さず、戦後に処刑された。