洪悦郎

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洪 悦郎(こう よしろう、1924年3月20日2009年1月4日)は、東京都出身の建築学者

人物

文禄の役時に朝鮮半島より日本へと送られた学者・書家の洪浩然を祖とする家系である[1]東京大学建築学科卒業後、東京大学大学院に進学するものの中退し同大学の工学部の助教授となる。教授の座に就いた後は室蘭工業大学北海道大学でも教授の座を務めた。日本コンクリート工学協会では会長を務めたほか、日本建築学会でも副会長を務めた。

1991年には紫綬褒章1996年には勲二等瑞宝章が授与されている[2]2009年1月4日東京都目黒区の病院にて心不全で亡くなった[3]

脚注

  1. ^ “洪浩然 企画展 3日から名護屋城博物館”. 佐賀新聞. (2008年9月30日). http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1061534.article.html 2009年11月3日閲覧。 
  2. ^ 「96秋の叙勲受章者 勳一等・勳二等」『読売新聞』1996年11月3日朝刊
  3. ^ “洪悦郎氏死去 / 北海道大名誉教授”. 高知新聞. (2009年1月7日). http://203.139.202.230/?&nwSrl=113164&nwVt=npd 2009年11月3日閲覧。 

外部リンク