氏寺

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氏寺(うじでら)とは、飛鳥時代古墳に代わって有力氏族によって造られるようになった仏教寺院である。中世頃からしだいに菩提寺とも呼ばれるようになった。

主な代表例としては聖徳太子が建立した法隆寺(斑鳩寺)や蘇我氏が建立した飛鳥寺、それに秦氏が建立した広隆寺がある。

地方では、その土地の豪族が氏寺を建てているのがみられる。例えば、相模国分寺のように伽藍様式が天平様式より古い法隆寺式伽藍であったり、瓦も白鴎様式であったりするのは、郡司の氏寺を改修して国分寺としたと推定される。また、小田原市千代台の千代廃寺からも白鳳様式の瓦が出土しており、これも郡司の氏寺であったと考えられている。

仏教が、限られた皇族や有力豪族の信仰から、貴族社会全般に浸透し、武家や一般民衆まで及ぶ中世に入ると、氏寺も古代のそれとは変化していった。「」という一グループの信仰や供養を受ける氏寺のみならず、「氏」を構成する「家」それぞれにも氏寺(家寺と呼ぶべきか)が持たれるようになり、それぞれ氏や家に応じた仏事を執り行うようになった。

仏事といった信仰的・宗教的行為の役割のみならず、氏寺の存続・発展の為の荘園経営や、本来主人たる氏や家へ対しての経済援助や助言といった活動を行う氏寺も出てきた。一方的な保護・援助の対象から、氏や家との密接な関係を保ちつつ、存続と自立的発展を目的としており、氏寺の中世的展開として注目される。

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