毛利高重

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毛利高重
時代 江戸時代前期
生誕 寛文2年(1662年
死没 天和2年4月7日1682年5月14日
戒名 竹林院
官位 従五位下安房守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱綱吉
豊後佐伯藩
氏族 毛利氏
父母 毛利高直:不詳
兄弟 高重戸田忠真正室
養子高久
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毛利 高重(もうり たかしげ)は、江戸時代前期の大名豊後国佐伯藩の第4代藩主官位従五位下安房守

略歴

第3代藩主・毛利高直の長男として誕生。

寛文4年(1664年)、父の死去により家督を継ぐ。藩政では家老磯部平兵衛らの不正が発覚して、これらを辞任させている。天和2年(1682年)4月7日、臼杵藩主・稲葉景通に招かれて宴を催されているときに急死した。享年21。法号は竹林院。

嗣子が無かったため、養嗣子の高久久留島通清の三男)が継いだ。