これはこのページの過去の版です。イルーゾォ (会話 | 投稿記録) による 2015年7月28日 (火) 14:12 (個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。
武田 信孝(たけだ のぶたか、生没年不詳)は、戦国時代の武将。若狭武田氏当主の武田元信の子。
天文7年(1538年)、謀叛を起こした若狭武田氏の重臣粟屋元隆に擁され、甥信豊と家督を争うも、遠敷郡の戦いで敗北。朝倉孝景(朝倉家10代当主)を頼り、越前へ逃亡する。
天文21年(1552年)、粟屋右馬允と共同での若狭国乱入を企てたが、朝倉氏が幕府から若狭への乱入制止を要請され中止。その後の消息は不明。