正伝寺 (岐阜県八百津町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。大野 一将 (会話 | 投稿記録) による 2022年8月14日 (日) 12:59個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

正伝寺
所在地 岐阜県加茂郡八百津町野上1298-1
位置 北緯35度28分38.9秒 東経137度06分44.0秒 / 北緯35.477472度 東経137.112222度 / 35.477472; 137.112222座標: 北緯35度28分38.9秒 東経137度06分44.0秒 / 北緯35.477472度 東経137.112222度 / 35.477472; 137.112222
山号 法雲山
宗派 臨済宗妙心寺
創建年 暦応3年(1340年
開山 夢窓疎石
中興年 明応元年(1492年
中興 東陽英朝
文化財 県指定:十一面観音坐像、金銅製三具足、愚堂東寔禅師墨書五幅
町指定:織田信長書状、雪江宗深墨書ほか
法人番号 2200005006672 ウィキデータを編集
正伝寺の位置(岐阜県内)
正伝寺
正伝寺
正伝寺 (岐阜県)
テンプレートを表示

正伝寺(しょうでんじ)は、岐阜県加茂郡八百津町にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は法雲山。

歴史

暦応3年(1340年)に夢窓疎石が現在地より500メートルほど東の地に法雲山米山寺として開き、足利尊氏から保護されたと伝わるが、その後しばらくの歴史は資料に乏しく未詳である。

明応元年(1492年)に当地出身で妙心寺13世の東陽英朝が住持となり、宗派を妙心寺派に改める。その後、永正元年(1504年)には土岐政房により、土岐家の祈願所となる。天正8年(1580年)には美濃の支配者となっていた織田信長から保護を受けた。 江戸時代に入り、和知城の城主・稲葉方通が寺基を現在地に移して寺号を正伝寺に改め、その父稲葉一鉄の法事を行った。

元和3年に(1617年)に愚堂東寔が住持を務め、寺運の隆興に努めた。やがて稲葉氏が嗣子なき故に断絶すると、尾張藩の保護を受けるようになった。

所蔵する十一面観音坐像、金銅製三具足及び愚堂東寔禅師墨書が岐阜県の文化財に指定されているほか、寺の歴史にかかわったさまざまな人物の書状等を数多く所蔵している。

脚注