植田 義巳(うえだ よしみ、1906年6月28日 – 1996年11月9日)は、東京都出身の日本のバスケットボール選手・指導者。
選手としては1928年から1934年まで東京商科大学(現一橋大学)に所属し、全日本選手権2度優勝。1959年からは日本オリンピック委員会(JOC)、国際バスケットボール連盟(FIBA)委員をそれぞれ1989年まで務め、アジアバスケットボール連盟(現・FIBAアジア)の設立にも関わった。
1960年ローマオリンピックでは全日本マネージャーを務めた。
2007年、日本人で初めてFIBA殿堂に表彰された。
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