梅戸高実

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梅戸高実
時代 戦国時代
生誕 文亀2年(1502年
死没 永禄4年(1561年
氏族 六角氏梅戸氏
父母 六角高頼
兄弟 六角氏綱六角定頼大原高保
和田高盛高実、真玄、武衛娘?、
今出川季孝室、京極材宗
高宗実秀高資
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梅戸 高実(うめど[1] たかざね)は、戦国時代武将

略歴

梅戸氏田光氏の後裔。伊勢国国人北勢四十八家の内の一家。伊勢における八風街道を抑えており、六角氏も一門を養子に送り込むなど、戦略上重要視していたと思われる。

六角高頼の子で梅戸氏に養子に入った。後に梅戸城[2]を築城する。高実の死後は次男・実秀が家督を継いだが、永禄11年(1568年)に織田信長に攻められて滅亡している。

脚注

  1. ^ 『三重県の歴史』(山川出版社)では、うめづとしている(同書P.141)。
  2. ^ 現・三重県いなべ市大安町門前字天水。光蓮寺山公園として整備されている。