桜デパート
桜デパート(さくらデパート)は、かつて存在した日本の百貨店。鹿児島県鹿屋市に本店を置き、大隅半島では唯一の百貨店(日本百貨店協会加盟[1])であった。
概要
1945年(昭和20年)12月に桜商会として創業。1954年に桜デパートと改称し、1960年に後の鹿屋本店を建設。1970年代から1980年代にかけて店舗網を拡大し、1990年に売り上げのピークを迎えたが、1994年に破綻し企業としては2000年に特別清算された。大隅半島の倒産企業における負債金額の規模では丸栄建設(2008年破綻)に次ぐ[2]。1994年8月末時点の資本金は8,500万円、従業員数は110人であった。
鹿屋市北田町にある本店と寿店の大規模店や、西原店などの小規模店で構成されていた。デパート業のほか、観光事業も展開して桜観光(現在も存続)なども存在していた。子供に与える影響も大きく、本店では交差点向かいの「おもちゃの松元」との相乗効果から当時流行したファミリーコンピュータのディスクの書き換え機(1回500円)が設置されていたほど品揃えは地方随一であった。また、寿店では同じくファミリーコンピュータの「スーパーマリオ」大会が多くの子供を集めて開催されるなど、集いの場として人気の高さをうかがわせていた。
1974年から寿屋と業務提携を結んでおり、1994年9月の閉店後は一部店舗を寿屋に移譲し、寿店は『寿屋鹿屋店』、西原店は『くらし館西原店』として運営されていたが、同社も2001年に倒産。現在は西原店が『マックスバリュ西原店』として運営されている。
本店の店舗は地上7階建てでありいわゆるデパ地下も存在した(朝日新聞記事に基づく、1973年時点は4階建て)。敷地面積は2,385平方メートル、店舗面積は9,000平方メートル。1994年9月に閉鎖された後10年ほどそのままの状態であったが、再開発施設『リナシティかのや』の建設に伴う周辺整備により2005年3月までに取り壊された。本店敷地は鹿屋市が2億7,961万円で取得。現在は『まちなかパーク』として整備され駐車場として利用されている。
大隅半島初のショッピングセンターであるプラッセだいわ鹿屋店が開業した1991年12月5日にはショッピングプラザさくら(寿店の増床計画)の構想を南日本新聞の紙面上で広告として発表したが、実現には至らなかった。
1980年代までの鹿屋市で買い物といえば、鹿屋市中心部にあった桜デパートや遠矢百貨店、タイヨーが一般的であったが、1991年の市役所の移転や1992年の国道220号鹿屋バイパスの全線開通などを機に、衰退の一途をたどった。現在の鹿屋市付近の買い物は鹿屋バイパス沿いのロードサイド店舗が中心となっている。
会社データ
1989年時点。
- 本部所在地:鹿児島県鹿屋市寿四丁目14番26号
- 資本金:8,000万円
- 店舗数:8
- 従業員数:435人
- 平均年齢:27.6歳
- 関連企業:ラッキーマート、桜外食
店舗
1998年以降は寿屋が営業権を貸借していたが、同社の倒産に伴いいずれも2002年2月に閉鎖された。
- 鹿屋本店 - 1994年8月31日をもって休業し、再開店することなく2005年取り壊し。
- 西原店 - 西原くらし館として1994年9月21日再開店、現マックスバリュ西原店。
- 寿店 - 寿屋鹿屋店として営業。
- 垂水店 - 寿屋垂水店として営業。
- 串良店 - ラッキーマートとして営業。
- 大根占店 - ラッキーマートとして営業。
これとは別に桜マートが開業した「くらし館東串良店」(1995年1月24日開業)および「くらし館有明店」(1995年2月19日開業)がそれぞれ存在した。
脚注
参考文献
- 『鹿児島大百科事典』 南日本新聞社、1981年。
- 『南日本新聞』
- (求人広告)1989年7月3日朝刊27頁。
- (プラッセだいわ鹿屋店開業対抗セール広告)1991年12月5日朝刊14頁。
- 「桜デパート本店 あすから休業 再開計画未定、雇用は継続」 1994年8月31日朝刊8頁。
- 「寿屋とくらし館が桜デパート5店舗の営業権を貸借」 1998年1月22日朝刊8頁。
- 「旧桜デパート解体に着手」 2005年1月4日朝刊25頁。
- 『朝日新聞』 2004年12月14日35頁、鹿児島版。
関連項目
外部リンク
- 鹿屋市の桜デパート - 南日本新聞公式ウェブサイト内「懐かしフォトギャラリー」。1973年11月時点の外観。