松平堅房

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松平 堅房
時代 江戸時代中期
生誕 享保19年9月26日1734年10月22日
死没 安永2年2月16日1773年3月8日
別名 福次郎(通称)、賢房(読み同じ)
戒名 本立院
官位 従五位下、日向
幕府 江戸幕府
越後糸魚川藩
氏族 越前松平家
父母 父:松平直好
兄弟 近栄、直経堅房
正室:分部光命の娘
諏訪頼古諏訪氏に養子入り)、井上直孝
佐久間信崇直紹
娘(半井成英室)、娘(松平近周室)、
娘(滝川元郷室)計:8男9女
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松平 堅房(まつだいら かたふさ)は、江戸時代中期の大名越後糸魚川藩の第3代藩主。福井藩越前松平家分家(糸魚川松平家)5代。

生涯

享保19年(1734年)9月26日、第2代藩主・直好の四男として生まれる。元文4年(1739年)、父の死去により6歳で家督を継いだ(兄の近栄、直経(なおつね)はいずれも早世していたと思われる)。やがて元服し、糸魚川藩祖(糸魚川松平家初代)の直堅より偏諱を取って堅房と名乗る。寛延3年(1750年)2月に将軍・徳川家重御目見し、その後は馬場先御門番や日光祭礼奉行、大坂加番、竹橋御門番、田安御門番、一橋御門番などを歴任した。安永2年(1773年)2月16日に死去し、跡を七男の直紹が継いだ。