東谷奥村

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ひがしたにおくむら
東谷奥村
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 新設合併
山中町、河南村、西谷村、東谷奥村山中町
現在の自治体 加賀市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 石川県
江沼郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 61.68 km2.
総人口 1,333
(1953年)
隣接自治体 石川県:江沼郡山中町山代町西谷村那谷村能美郡大杉谷村新丸村
東谷奥村役場
所在地 石川県江沼郡東谷奥村荒谷
座標 北緯36度13分36秒 東経136度26分30秒 / 北緯36.22664度 東経136.44164度 / 36.22664; 136.44164座標: 北緯36度13分36秒 東経136度26分30秒 / 北緯36.22664度 東経136.44164度 / 36.22664; 136.44164
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東谷奥村(ひがしたにおくむら)は、石川県江沼郡に存在した

動橋川(いぶりばし川)の谷を江沼郡の中では「東の谷」として、その奥(上流部)に位置するという意味の村名である。なお、当村の北隣、動橋川の谷の入口に当たる方には東谷口村があった。

地理

  • 現在の加賀市の南部、かつての山中町においては東部にあたる。400m - 1300m級の山々に囲まれた谷あいの村。
  • 山:大日山 (1368m)、小大日山 (1198m)、鞍掛山 (478m)、坂ノ下峠、大杉峠
  • 川:動橋川、四十九院川、杉ノ水川

歴史

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行により、荒谷(あらたに)村、市谷(いちのたに)村、今立(いまだち)村、大土(おおづち)村、上新保(かみにんぼ)村、西住(さいじゅう)村、四十九院(じじゅくいん)村、杉水(すぎのみず)村、菅生谷(すごうだに)村、滝(たき)村、中津原(なかつはら)村の11か村が合併し、江沼郡東谷奥村が成立。
  • 1896年(明治29年) - 大洪水の被害を受けた上新保の全住民が北海道へ移住。
  • 1954年昭和29年) - 西住の全住民が転出、当地は無住地になる。西行の弟子とされた西住の墓があり、それに因む地名とされる。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 当村と山中町、河南村西谷村の1町3村が合併、山中町が成立。

関連項目