李公蘊
姓名 | 李公蘊 |
廟号 | 太祖 |
諡号 | 神武皇帝 |
尊号 | 奉天至理應運自在聖明龍見睿文英武崇仁廣孝天下太平欽明光宅章明萬邦顯應符感威震藩蠻睿謀神功聖治則天道政皇帝 |
陵墓 | 寿陵 |
王朝 | 李朝 |
年号 | 順天 1010年-1028年 |
生没年 | 974年-1028年 |
在位 | 1010年-1028年 |
李公蘊(りこううん、ベトナム語: Lý Công Uẩn、974年 - 1028年)は、ベトナムの李朝を建国した君主である。廟号は太祖、諡号は神武皇帝。寿陵に葬られた。
経歴
古法村の人で、先祖は中国の福建省からの移民といわれる。彼は万行法師に師事して仏法を学び、黎龍鋌のときに左親衛殿前指揮使に任ぜられた。1010年、かれは前黎朝の跡継ぎが幼少なのに乗じて帝位を簒奪し、順天と改元して李朝を建国した。尊号を奉天至理応運自在聖明龍見睿文英武崇仁広孝天下太平欽明光宅章明万邦顕応符感威震藩蛮睿謀神功聖治則天道政皇帝といった。かれは昇龍城(現代のハノイ、もとの名を大羅城といい、唐代の高駢の治所であった)に遷都して、親族を分封し、李仏瑪を立てて太子とし、仏教を国教とした。
2011年8月にロシアから購入したミサイル駆逐艦が、ベトナムを中国から防衛した二大国王の名にちなんでLy Thai To (李太祖)、Dinh Tien Hoang (丁先皇)と命名された。
子女
6男と13女がいた。
男子
女子
- (残りの12女は称号も名も不詳である)
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