本田長康

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本田 長康
名前
カタカナ ホンダ ナガヤス
ラテン文字 HONDA Nagayasu
基本情報
国籍 日本の旗 日本
選手情報
ポジション GKHB
代表歴
1927-1930 日本の旗 日本 4 (0)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

本田 長康(ほんだ ながやす[1])は、日本出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパーおよびハーフバック(現在のミッドフィールダー)。

1927年と1930年の極東選手権日本代表として参加した。早大WMWを母体に日本代表が構成された1927年大会では、1試合目の中華民国戦にはGKとして先発したが、途中交代で法政大学からの補強選手であるGK西川潤之が入ったため本田は試合中にHBへとポジションを移し、2試合目のフィリピン戦にも続いてHBとして出場した。日本代表が初めて選抜チームで構成された1930年大会では、フィリピン戦と中華民国戦にHBとして出場、日本代表の国際大会初優勝に貢献した。

所属クラブ

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ:4試合0得点(1927-1930)


日本代表国際Aマッチ その他期間通算
出場得点 出場得点出場得点
1927 2 0 4 0 6 0
1928 0 0 0 0 0 0
1929 0 0 0 0 0 0
1930 2 0 0 0 2 0
通算 4 0 4 0 8 0

参考文献

  1. ^ 『歴代日本代表パーフェクト名鑑』 ベースボール・マガジン社、38頁。