朝鮮総督府総督官房
朝鮮総督府総督官房(ちょうせんそうとくふそうとくかんぼう)は、朝鮮総督府に置かれた内部部局。朝鮮総督の官房である。
本項では、前身である統監府統監官房についても触れる。また、統監府・朝鮮総督府で総務部・総務局と呼ばれた部局についても触れる。
沿革
[編集]1905年(明治38年)、統監府が設置されると、警務部・農商工部とともに総務部(長は総務長官)が置かれた。統監府総務部には、秘書課・庶務課・外事課・内事課・法制課・土木課・鉄道課の7課が置かれた。
1907年(明治40年)10月20日の統監府官制改正に伴い、統監官房(長は総務長官)が置かれ、文書課・人事課・会計課の3課が置かれた。
1910年(明治43年)10月1日、韓国併合にともない朝鮮総督府官制が施行されると、総督官房と総務部(長は総務部長官)が置かれた。総督官房には武官室・秘書課・参事官が置かれ、総務部には文書課および外務局・人事局・会計局の3局が置かれた。1912年(明治45年)4月1日、総務部は廃止されて総督官房に併合され、総督官房に総務局・外事局・土木局の3局が置かれた。1915(大正4年)4月の改正で外事局は廃止された。1917年(大正6年)7月31日に、総督官房に鉄道局が置かれた。
1919(大正8年)の官制改正により、総務局・土木局・鉄道局は、それぞれ総督官房の庶務部・土木部・鉄道部となった。1924年(大正13年)、行財政整理を目的とする官制改正により、庶務部・土木部は廃止された。1925年(大正14年)3月末日には総督官房鉄道部も廃止され、総督府の外局として朝鮮総督府鉄道局が新設された。
1939年(昭和14年)8月2日には官房外事部が、同年11月28日には官房企画部が新設された。
1942年(昭和17年)11月1日、厚生局と企画部が廃止されて総務局が再設置された。
1943年(昭和18年)12月1日に総務局は再び廃止され、文書・情報・調査・監察の各課は総督官房の課となった。国民運動課は、他の所掌を加え地方課となった。なお会計・人事の各課はそれ以前から総督官房の課であった。
機構
[編集]1941年(昭和16年)9月1日現在。
- 総督官房
- 秘書官室
- 審議室
- 人事課
- 文書課
- 会計課
- 国勢調査課
- 国民総力課
歴代局長
[編集]総務局長(総務長官を含む)
[編集]氏名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|
(統監府)総務長官 | ||
鶴原定吉 | 1905年(明治38年)12月21日 - 1908年(明治41年)10月21日 | |
石塚英蔵 | 1908年(明治41年)10月22日 - 1910年(明治43年)6月14日 | 事務取扱 |
有吉忠一 | 1910年(明治43年)6月14日 - 1910年(明治43年)10月1日 | |
(朝鮮総督府)総務部長官 | ||
有吉忠一 | 1910年(明治43年)10月1日 - 1911年(明治44年)3月13日 | |
小松緑 | 1911年(明治44年)3月13日 - 1912年(明治45年)4月1日 | 心得 |
(朝鮮総督府総督官房)総務局長 | ||
児玉秀雄 | 1912年(明治45年)4月1日 - 1916年(大正5年)10月19日 | |
荻田悦造 | 1916年(大正5年)10月28日[1] - 1917年(大正6年)7月31日 | 事務取扱 |
荻田悦造 | 1917年(大正6年)7月31日 - 1919年(大正8年)8月20日 | |
(総務局廃止) | ||
(朝鮮総督府)総務局長 | ||
江口親憲 | 1942年(昭和17年)11月1日 - 1943年(昭和18年)12月1日 |
総務部人事局長
[編集]氏名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|
国分象太郎 | 1910年(明治43年)10月1日 - 1912年(明治45年)3月31日 | 兼中枢院書記官長[2] |
総務部会計局長
[編集]氏名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|
児玉秀雄 | 1910年(明治43年)10月1日 - 1912年(明治45年)3月31日 |
総務部外事局長
[編集]氏名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|
(統監府)外務局長 | ||
鍋島桂次郎 | 1907年(明治40年)3月29日 - 1909年(明治42年)12月23日 | |
(統監府)外事局長 | ||
小松緑 | 1909年(明治42年)12月23日 - 1910年(明治43年)10月1日 | |
(朝鮮総督府総務部)外事局長 | ||
小松緑 | 1910年(明治43年)10月1日 - 1912年(明治45年)3月31日 |
総督官房土木局長
[編集]氏名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|
(朝鮮総督府総督官房)土木局長 | ||
持地六三郎 | 1912年(明治45年)4月1日[3] - 1917年(大正6年)6月6日 | |
宇佐美勝夫 | 1917年(大正6年)6月6日[4] - 1919年(大正8年)8月20日 | 朝鮮総督府内務部長官の兼任 |
鉄道局長
[編集]脚注
[編集]- ^ 『官報』第1278号、大正5年11月4日。
- ^ 『官報』第8186号、明治43年10月3日。
- ^ 『官報』第8633号「叙任及辞令」1912年4月2日。
- ^ 『官報』第1454号、1917年6月7日。
参考文献
[編集]- 朝鮮総督府編『施政三十年史』(朝鮮総督府、1940年)
- 朝鮮総督府編『朝鮮事情 昭和十七年度版』(朝鮮総督府、1941年)
- 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』(東京大学出版会、1981年)