服部直衡

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服部 直衡弘化元年4月5日1844年5月21日) - ?)は、尾張国名古屋出身の官僚。義三とも称した[1]

人物

弘化元年(1844年)4月5日、名古屋巾下北鷹匠町において生まれる[1]明治3年(1870年)10月に名古屋藩権少属に就く[1]廃藩置県に伴い、愛知県庁勤務となる[1]。明治16年(1883年)、四等属まで出世するが、明治19年(1886年)4月に東春日井郡長に転ずる[1]。このとき、正八位に叙された[1]。明治21年(1888年)12月には、前任である吉田禄在に代わり、第2代名古屋区長に任じられた[1]。このときは、市制施行に向けての準備中であり、その業務にあたった[1]。名古屋市成立に伴いその職を解かれ、明治22年(1889年)10月からは中島郡長となっている[1]。翌年8月には中島郡長を辞した[1]。同月27日には名古屋市長就任を依頼されるも、これを固辞したという[1]八名郡知多郡長を経て、明治33年(1900年)9月、定年を迎えた[1]。このとき、従六位を叙された[1]。明治43年(1910年)8月には、名古屋市学務委員に選出された[1]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 名古屋市役所 1916, p. 84.

参考文献

  • 名古屋市役所 編『名古屋市史 政治編第三』名古屋市役所、1916年2月20日。