有沢四十九郎

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有沢四十九郎(ありさわしじゅうくろう、生没年未詳)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は大佐。

経歴

1901年12月14日、少尉候補生となる。1903年1月23日に少尉に昇進する。1904年7月13日に中尉に昇進する。1905年8月5日、大尉に昇進し、出雲の分隊長となる。1908年9月25日、鈴谷の航海長となり、10月16日からは隊長を兼任する。見島航海長となり、1910年5月23日から、出雲航海長心得となる。1911年12月1日、少佐となり、出雲航海長となる。中佐となり、比叡航海長を務め、1916年12月1日に扶桑の航海長となり、1917年12月1日から海軍大学校副官となり、1919年12月1日には日向の副長となった。1920年12月1日、大佐に昇進し、襟裳艤装員長となる。その後、1921年11月10日まで艦長を務めた。同年11月20から敷島艦長となった[1]のち、1923年4月1日に予備役となる。

著書

  • 『ばらの実生法』帝国ばら協会、1932年

脚注

  1. ^ 『官報』第2793号、大正10年11月22日。