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昌平君(しょうへいくん、? - 紀元前224年)は、中国戦国時代の楚の公子。
若くして人質として秦に赴き、秦で頭角を現して相国となった。 尉繚と共に秦の軍事面に携わり、多くの将兵を育成して統一の原動力となる。 紀元前238年、嫪毐が背くと昌文君と共に鎮圧した。
紀元前223年、楚王負芻が秦に捕らえられ、楚が滅亡すると楚の将軍の項燕により淮南で楚王に立てられ、秦に背いたが、王翦・蒙武に敗れて戦死した。
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