教会のしるし

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教会のしるし(きょうかいのしるし、Notae ecclesiae、英:Marks of the Church)とは、本当のキリスト教会であるところのしるしである。これは、宗教改革において主張された[1]

ローマの教皇を教会のかしらとするカトリック教会使徒継承の主張に対し、プロテスタントは教会のしるしを主張したのである。マルティン・ルターは、神のみことばが聞かれる所に神の教会が存在するのであり、イエス・キリストが降誕されたうまやにおいても教会が存在したという[2]ウェストミンスター信仰告白は教会のしるしを失った教会が、「サタンの会堂になるほどに堕落した」[3]と指摘している[4]

教会のしるしとは、聖書のみことばの解き明かし、洗礼バプテスマ)と聖餐の2礼典戒規の三つである[1]。これは、スコットランド信条において明白に告白されている[4]。また、ベルギー信条(オランダ信条)も、「真の教会のしるし」を告白している。

真の教会のしるしは、次の標識によって見分けることができる。福音の純粋な説教、イエス・キリストが制定された礼典の執行、誤りを矯正するための教会戒規の執行。つまりは、純粋な神のみことばに治められ、これに反するすべてのものを退け、イエス・キリストのみが教会のかしらであるところの教会である。これらのしるしによって、真の教会であると認め、保証することができる。

ジャン・カルヴァンは、世俗と教会の司法権を区別し、世俗の行政から教会の戒規を分離した[5]。戒規は教会の純潔を守り、キリスト者を保護し、異端者や罪人を悔い改めに導くためにある[5][1]

脚注

  1. ^ a b c 尾山令仁『聖書の教理』羊群社
  2. ^ C.F.ヴィスロフ『現代神学小史』いのちのことば社
  3. ^ ウェストミンスター信仰告白
  4. ^ a b ヤン・ロールス『改革教会信仰告白の神学』一麦出版社
  5. ^ a b 『リフォームド神学事典』いのちのことば社

参考文献