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徐 質(じょ しつ、? - 254年)は、三国時代の武将。魏に仕えた
概要
蜀漢の姜維が北伐を開始した時、討蜀護軍に任じられて郭淮・陳泰に従った。
249年、蜀将姜維が麹山に2つの城を築き、蜀の牙門将句安・李歆に守らせた。徐質は鄧艾と共に陳泰の士気のもと2つの城を包囲し、兵糧攻めにして2将を降伏させた。[1]
254年、再度の北伐を敢行した姜維を迎撃し、麻痺症で病んでいた蜀の張嶷と交戦して討ち取ったが、張嶷軍の倍する被害を受けてしまった[2]。痛手を受けた所に姜維の反撃を受けて襄武で包囲され大敗し、戦没した[3](狄道の戦い)。
脚注
中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。